こんにちは
心理セラピスト野崎めぐみです。
みなさん冬になると
何が食べたくなりますか❓
私は肉まん
肉まんが好きなのです。
丸い形に、ホカホカの湯気を見るだけで
嬉しい・温かい気持ちになるのはもちろんなんですが
なんといっても
ポン酢によく合う✨
だから鍋の晩御飯も大好き。
朝肉まんを食べながら
私はなんで肉まんと鍋もすきなんだ?
と考えていたら
好きと好きを繋ぐ
共通点はポン酢が好きなんだ!!
さらに納得✨
自分の好きな物から
更なる好きに繋げていくのは面白いですね。
そして肉まん大好きな私
でも
嫌いな人や苦手な人もいると思うのです。
私基準は肉まんが好きなんだけども
肉まんを食べてはいけない会社・組織・仲間内に入ったら(実際はあり得ないですが)
私はその就業中はお昼休みでも食べれない。
朝ご飯に肉まんを食べても匂いがしないか
気を使ってしまう。
好きなことを悟られないようにするかも。
いや!もしかすると
肉まんのことを敵視するなんてあり得ない!と反発するかも!
なんて構想に走ったのです。
でも
これって日常でも起きてるのかもと考えが方向転していきました。
会社や組織やグループや学校の中で
円滑なやりとりやバラバラにならないために
規則やルール、モラルが必要だけども
だからといって
自分が持っている感性や感覚の好きなことや嫌いなことを
ダメとかいいをジャッジする、される必要はないんじゃないか❓
誰かに合わせることも、もちろん大切な時もあるのだけども
自分の大事な感覚や感情を切り離して、なかったことにしたり
無理して誰かに合せすぎて自分が疲れてしまったり
肉まん好きなんて『最低』と言われて落ち込んで
肉まん好きな私はだめだ。
と罪悪感や自己嫌悪を感じたりする
そんな必要はないなって思ったのです。
肉まんを好きな人と肉まんについては
肉汁がたまらんよね!
ポン酢とカラシの相性が抜群!と
分かり合えればいい。
だからといって肉まんを嫌いな人を否定する必要もない。
だって私にも嫌いなものがあるから。
もしかすると
肉まんを嫌い!と否定してきた人と
お鍋は好き!と分かり合えるのかもしれない。
1つの物事や出来事や場面だけをみて
その人を否定することもないし
その時はそう言わざる得なかった理由があるのかもしれない。
だから
自分で自分を責めなくていいと思う。
自分の好きなこと
自分の苦手なものやできないことを
一つづつ受けれていくことが
視野や視点を広めていくことに繋がるからね!
と
肉まんを通して内観した朝でした。
お付き合いいただきありがとうございます。
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